タドゥーのいろんな日常

このタイトルいつまで続ければいいのか

追記

言い換えると、上遠野作品は
あとがきのための壮大な『前振り』なんじゃないかと
全ての伏線や物語はあとがきのために
いや、あとがきの奥の
思想のように一方的ではなくて
真実のように固定的ではなくて
疑問、の為なんじゃないかなぁと
生活して行くうえで、見落としてしまいそうな疑問
どう答えても本当の真実なんかわからない世界での、問題提起
疑問に思うこと自体が正しいかなんてことは、結局主観の問題になるわけで
なら俺は、
「上遠野作品を通して感じるこの世界に対する疑問について考える事が、
 生きて行くうえで大切であると思う」
としか言えないわけで
結局、この世界は「俺はこう思う」でできてるわけですよ
でも、問題提起をされないと、何かに感想を持つこともなくなるわけです
もしここで俺が

君は世界をどう思う

と言ったなら
その時点で、あなたは世界に対して意見を持ったわけです
どうも思わない、それだけでもその疑問にたいして反応したわけです
どちらの道を行けばいいんだろう
いや、もしかすると真ん中の建物を壊して通る事もできるかもしれない
空を飛んでいけるかもしれない
選択肢はいくらでもあるわけです
どれを選んでも間違いだし、どれを選んでも正解
正否決めるのは自分か、過去を振り返った自分か
選んだからといって、それに命を賭けて従う事もまた難しい
それを踏まえたうえで
物語で、あとがきで問題提起をして
物語のこの人物は、この選択をした
この人物は、それをこう思った
なら、これを読んでいるあなたはどう思い、どう行動するのか
そんな風に問われている気がする

俺は読んで、考えて、それが意味のあるものだと思ったから
この本は俺にとって本当に意味のあるものになったことは間違いなくて
そう思わなかったら
なんの意味もなくなるわけで
だったらなんでそんな事を言うのかと言われれば
寂しい人間としては、この話題を多くの人と話し合いたいわけで
自分が意味があると思ったことを、他人にも思ってほしいわけです
でも結局それは個人がどう思うかであって
話が堂々巡りになるわけですね

でももしかすると
何回も何回も疑問と回答と疑問を繰り返して
一つずつ選択肢を増やしていけば
いつかは”突破”できる日が来るんじゃないかなぁと、思うわけですよ