テスト期間は日記が長くなる法則発動
本とかゲームとかイロイロで泣く、ということについて
最近、悲しい話で泣くって言うのは果たして良いことなのか?とも思う
感動した、って言っても
悲しみがあって、それでしか感動できないなんていうのは
それ自体が悲しみであると思う
不幸に突き落としておいて、引き上げてよかったね、とかいうのも
かと言って、何か悪い状況の中でないと、物語はほとんど成り立たないっていうのが現状かなぁ
マリみては平和なときは平和だけど
そこで感情が揺れるかと言われれば、萌えとか、そっち方面ぐらいかなと
やはりレイニーブルーとかがあって、パラソルがあるわけで
ただ、それでも
たとえば戦争がテーマであっても
離れ離れになって悲しい、泣くっていうのと
人の気持ちの、温かさや強さとか、そういうので泣くのとは違うと思う
救いの無い話で悲しむのか
救いの無い話だとしても、それでも諦めないのか
お話だから、悲しい話を見て、現実で強く生きるっていうのも、あるかもしれないけど
あれか、カタルシスっていうのか、そういうのわかんないけど
それと、もしかすると、大げさな事を求めすぎてるのかもしれない
日常生活の、ほんの些細な事で、ありがとう、嬉しい、と涙を流すような
誰も不幸にならなくても、世界が悲惨な状況じゃなくても
そんな事も、あるんじゃないかなぁと
でもまぁ、それを本やゲームにするっていうのは、またムリな話なのかも