タドゥーのいろんな日常

このタイトルいつまで続ければいいのか

蝶ではない

マリみて
薔薇さま達は超人で、そいつらを飼いならしてた超薔薇さま達は完璧超人だ、という話について
たしかに奴らはすごいんだけど、最初から完璧だったわけではなくて
やっぱり、山百合会の中で2年とか3年とか過ごしてきたからこそ、そういう凄さになるわけで
薔薇さま達だって、その上の薔薇さま達に育てられたからこそだというか
1年で薔薇さまの凄さ、そしてお姉さまの愛情の元で育つ(なんか作物みたいだな)
2年でつぼみになり、しかも自分に妹ができることでしっかりしなきゃという自覚が出てくる
祥子だって登場時は、ほぼ完璧くさかったのに、実は不安定だったり
でもその不安定も3年まで成長していく間に解決されていったり
そういう成長というのが、マリみての醍醐味の一つではないかと思うわけだ
蟹がもし当選してたとしても、決して薔薇さまみたいにはなれなかったと思う
違う味を出して、それはそれでおもしろかったかもしれないけど
代々継がれていってる薔薇の血脈は、やっぱり一緒に生活しているからで
一般生徒の「凄いなぁ」という視点ではなくて
同じ立場に立って、一緒に何かをする事によって、変な言い方だけど同じ人間であるという事が実感できると思う
神聖化された薔薇さまとしてじゃなくて、一人の人間として接する事によって色んな物を吸収していくんだと
裕巳のおかげで、だいぶ壁は取り払われそうだけども
紅薔薇さま人生最良の日スキーとしては、願ってもない限りで
でも現実でそういう事やると、意味もなく保健室とか図書館で溜まるようなんばっかり集まってくるような気がする
マリみてのもうひとつの醍醐味は、人
事件そのものではなくて、それに付随する人達の行動とか心情とかが素晴らしいと思う
ので、起こる事のほうに重点を置いたチャオソレッラは微妙だったんじゃないかと
人物が魅力的っていうのは、SSでオリキャラ出したりするのが一番辛そう
そもそもオリキャラの類でスベってないやつのほうが少ないのは置いといて

アニメとかでも、原作ものにオリキャラ出す時点でちょっと…
オリジナルのエピソード挟むだけでもだいぶ危ないと思う
原作もののアニメとかで、スタッフ(特に上のほう)が原作読んでないのって論外じゃない?
グリグリとか絶対やってねぇ
アンソロジーとかと責任の重みが全然違うと(アンソロのほうも殺意沸くけど)
自分的成功例はアニみて(忠実+うまい改変)とマサルさん(超忠実)