タドゥーのいろんな日常

このタイトルいつまで続ければいいのか

2010年代のお気持ち表明

今月で会社を辞めてウェブサービス作って生計を立てようとしてるんだけど
新卒で就職してから10年ぐらい、全然日記らしいことを書いてこなかったなぁと思ったので
ざっくりと振り返る


2011年4月~2013年7月 M社
三菱系列の会社に新卒で入社
組み込みソフト開発

最初は兵庫県塚口の社員寮に強制入寮
(東日本大震災の影響で)数か月で退寮、そのまま近くに住んで徒歩通勤
プロジェクトの関係で神奈川県大船に長期出張
ホテル暮らしして土日だけ帰阪したり、向こうの寮に入って土日だけ帰阪したり

とにかく残業イズパワー!昭和!みたいな感じでキツかった…
過労死ラインって超えるとマジで電車にふらっと飛び込んでもおかしくない気持ちになる
あと昇級のために論文(論文ではない)を書くのを強制されたり、その作業に残業時間がついたりつかなかったりするのも精神的にクる

よくネタにするのは入社直後の1週間のシゴキ合宿
ジャージで雪山登山、ランニング、体操の隊形に開く練習、無茶な開発お題を与えて「残業させてください」と言わせる、など

新人研修(合宿ではない)には本当に感謝してる
大学時代でC言語の仕様は極めてたけど、「設計」については何もわかっていなかった
品質を保つための設計や開発手法など、色々と意識できるようになったことは、ずっと活きてると思う
あんだけ丁寧な研修があって、現場のレベルがこれかよ…ってなるのは不思議だよね!!

何より良かったと思ってるのは、同期入社の人達と出会ったこと
この日記で何もつけず同期と書くのは、ここ
いやーほんと大好きなんだよね…
趣味が合うわけでもないんだけど
もしかしたら同じ会社の人だけど、同じ職場の人ではなかったからってのもあるのかも
縁を切りたくないので、たまに連絡を取る(もう半数ぐらいは反応もないんだけども)


2013年8月~2013年9月 無職
なんかとても楽しかったことだけ覚えてる


2013年10月~2019年4月 A社
転職サイトで「残業なし」でひっかかったところに受かったので
10人ぐらいの会社で組み込みソフト開発

残業はほとんどしなかった
良い会社だったからではなく、1人プロジェクトだったし、ちゃんと納期に間に合わせていたから
社員は残業に抵抗が無い人がほとんどで、同調圧力に弱い人だと絶対に定時に帰れなかった

社長がとにかくクソの中のクソで、それが主因で辞めた
そのうち死なねぇかなと思って5年も居たけど、死ななかったなぁ…
早い段階から未来はないと思ってたのに、ずるずると辞めずにいたのは現状維持バイアスだったと思う

組み込みの仕事に加えて、IoT関連の試作や社内システムの構築をやったのは良い経験だった
AWSの勉強をしてなかったら、今の決断はなかったかも

給料も悪くはなかった
使えないゴミカスが自分より貰ってるのは納得できなかったけど、それでもだいぶ貯金は溜まった


2019年5月~2020年1月 無職
ソフトは絶対に自社開発するべきという考えになった
会社を超えると、金銭面でも期間面でもマージンを取らなきゃいけないし、仕様というか思想も伝わらない
技術も残らないし

今回は飽きるまで遊ぼうと思ってダラダラした
半年経った時に、そろそろ就活するかぁ…となる
受かったので12月ぐらいに神奈川県大船に引っ越し
まさか大船に戻ってくるとは思ってなかったよね


2020年2月~2020年5月 F社
かなり大きめの会社で組み込みソフトの「請負開発」

なんで俺は!!!!絶対に請負なんて業態はダメだと思ってたのに!!!!!!こんな選択をしたんだろうね!!!!!!!!
就活一発目で受かっちゃったってのもあるし、面接で意気投合したのもあるし、東証一部上場というのに目が眩んでしまったのもあるし…
こんなすごい技術力が高そうな会社なら、もしかしたら!!!

もしかするわけがねぇだろ!!!!

もしかしないんだよなぁ…
客先常駐だけど、自社開発と変わんないから!って言葉を信用するなんてバカだったと思うよ本当に

新卒も中途採用も派遣も、構造上責任もって仕事できるわけないんだからさ…そんなんでチームの半数を構成してどうなるかわかんないのかね
古株の社員も、ちゃんと技術できますって人間はほんの一握り
さらにお客さんとの関係もぐちゃぐちゃ
品質の低いものをマンパワーでゴリゴリ作りますって感じ

コロナウイルスの対応もよくなかった
「客先常駐なのでテレワークの準備が間に合いませんでした」は5000歩譲って仕方がないとしても「なので準備が出来るまで自宅待機してください」って発想は一生でてこないんだろうなぁ…
当然のように緊急事態宣言後も出社したし、「出社してください」の指示すらなかったのは笑うしかない

チームがよくないし、事業部がよくないし、事務もよくないし、会社の統率もとれてない
異動したら改善するかもとは思えなかったので、辞めた

携わった製品は、本当に世界の最先端のものだった
こんなレベルのものがこんな体制で作られてるんだったら、すっぱり組み込み業界に諦めがつく


最後の方はテレワークだったので、色々と自己分析もできた気がする

組み込み業界や請負開発についてボロカスに思ってるけど、それ以前にサラリーマン耐性が無さすぎることがわかった
開発者にもリーダーにも事務方にもなんでもイチャモンを心の中でつける
人間と働けない異常者だということをようやく自認できた

結婚もできそうにない
結婚願望はあるけど婚活をやる気にならなかったし、よくよく考えると人間と一緒に生活してキレない自信が無い

組み込みってワードもたまたま研究室で触れて、仕事もそれにしてきただけで
組み込みにこだわってたのは、新しい分野の勉強をしたくないバイアスがかかってた気がする

あと引っ越しを機に物を所有しない生活をしてて、それが性に合ってる
小さい部屋にPCとゲーム機だけって人間が、モノづくりってのもおかしい気がしてくる


自己分析してるのか、新生活へ向けた言い訳をしてるのかわからなくなってきた
これからどうするかは次のエントリで